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タイトル『人生の扉』
ひさびさのCDの紹介です。
竹内まりやのアルバム「人生の扉」。このタイトルになっているこの曲は、いまお気に入り。
ドライブのよき友です。
竹内まりやが50代になり、ふと目にした桜を観ながら曲想を練ったようです。
20代には20代の、そして60代には60代のすばらしい人生が始まるよと歌っています。
次の歌詞、いいと思いませんか?
若い人にも聴いてほしい一曲です。

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ


(2007/09/15)



タイトル『若者はなぜ3年で辞めるのか
?』

著者城 繁幸 発行所光文社新書 発行2006920日初版 定価700+

 このタイトルは、最近、大学新卒生が会社に就職して3年以内に辞める割合が3割くらいいるとの厚生省の調査結果から採ったものだ。

 その要因については様々言われているが、著者は企業の年功序列制の仕組みがまだがっちり組み込まれていて、その閉塞感から離職するとの見解を述べる。副題には「年功序列が奪う日本の未来」とある。そのキーマンは管理職だ。著者が指摘しているように、時代の変化を前向きに捉え、社内で革新的にうねりを生み出している管理職は少ないかも知れない。ただ全般的に極端なとらえ方、ややステレオタイプ的なとらえ方に多少の違和感を持った。

 しかし、今の若者の置かれた社会環境を見つめ直すには格好の本と言える。その意味では、「最近の若者がすぐ辞めるのは根性がないのだ」と決め付けたがる人への警告を発信していることになる。

 この本のなかで、私も心配しているのはリストラが吹き荒れて、一番負担が掛かっているのは30代とある点である。40代もしかりであろう。仕事一辺倒の人生はつまらない。生き生きとした人生を送るには、たまには気を抜くことだ。それらを意識しての職場環境の改善が求められる時代となった。(2007/09/08)



タイトル『国家の品格』
著者藤原正彦 発行所新潮新書 発行日2005年11月20日 定価680円+税

 帯に"日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。"とある。
 確かに人は論理(理屈)だけでは動かない、人は感情を持っているからである。あの人がそう言っているから納得して受け入れる。逆に、あの人が言っているからやりたくないとか従いたくないとかはよくあることだ。
 著者が指摘するように、近頃は他人への思いやりに欠けた行動とかは目立つ気がする。他人への思いやりと同時に公への配慮の欠如といっていいかも知れない。自由と勝手を履き違えている輩は年齢に関係なく増えている気がする。
 本来日本人が持っているよき資質、魂を再び取り戻すべきとの著者の主張には大いに賛同するところである。ただ、これらの主張が、「昔は良かった」とか「いまの若者はだらしない」といったような風潮に置き換わり、著者の意図とは離れて一種のムードとして、流行る危険がありはしないかと心配するのである。過去の歴史を振り返れば理解を得られるであろう。情緒(ムード)に肩入れするのが日本人の気質てあるから、両刃の剣であるのだ。
 文章の中に「卑怯」を教えよという項目がある。そのなかの引用文に"いじめをするような卑怯者は生きる価値すらない、ということをとことん叩き込むのです"とある。う〜ん。いじめをするのは確かに卑怯と言えるかも知れない。だからといって「生きる価値がない」とは言い過ぎでしょう、という感じを持ってしまう。そう思うのは性根がないからだろうか。
 とにかくこの本は是非読んで欲しいと思う。価値ある本には違いないから。(2007/08/03)

タイトル『女性の品格』
著者坂東眞理子 発行所PHP新書 発行日2006年10月3日 定価本体720円
 このタイトルは恐らくベストセラー『国家の品格』にならってつけたのではないか。著者も言っている。「国家の品格の前に、品格ある個人だと」。なかなか売れ線ねらいのネーミングで、女性の書いたものはあまり読まない私も読もうと思った。また、もしかしたら女子学生の就職活動やセミナーの話題として参考になるかなという思いもあった。結構、売れているらしい。これが『男性の品格』となったら売れないだろう。
 著者は元埼玉県副知事、現在は昭和女子大の学長をなさっている。
この本を手にとってまず目に飛び込んでくるのが帯に書かれている次の文言だ。
 上品な女性は----・礼状が書ける
         ・約束をきちんと守る
         ・流行に飛びつかない
         ・贅肉をつけない
         ・花の名前を知っている
         ・無料のものをもらわない
         ・人に擦り寄らない
         などである。
 根源的には女性だけではなく人間としての品格を問いただしたものである。だから男性諸君にもぜひ読んでいただきたい。
 傑作は、「仲間だけで群れない」という項目であった。----独りでいるときは相応のマナーを守れる女性でも、団体行動になるととたんに集団の一員となりきって、他人の目を意識しなくなり、傍若無人となり、大声を出し、行儀が悪くなるのもよくあることです。集団のなかに個人が埋もれて悪いことを恥ずかしがらなくなってしまいがちです。---- この手のいわゆるオバサンは電車でよく見かける。
 喝采喝采と喜んでいたら、次のはちといけない。「品格ある男性を育てる」のなかで、「男性を選び、育てるのは女性です」の文言で後半の「「育てる」がひっかかる。なにか見下されている気がするからだ。考え過ぎ?
この本とは直接関係ないが、タイトルの「女性の」の代りにいくつかの文字を当てはめると面白い。例えば、不祥事を引き起こす「社長の品格」「会社の品格」、私利私欲の「政治家の品格」、権利を振り回す「親の品格」、勘違いしている「先生の品格」、「消費者の品格」、「夫の品格」、「妻の品格」、「爺様の品格」、「婆様の品格」、「大学生の品格」などいくつも出てくる。来月還暦を迎える当方に当てはめれば「還暦の品格」であろう。(2007/06/24)


タイトル『人間自身 考えることに終わりなく』
著者池田晶子 発行所新潮社 発行日2007年4月29日
今年二月二十三日に癌で亡くなられた。享年46歳。
この本は亡くなる直前まで書かれていたエッセーをまとめたものである。エッセーとしては遺稿となった。半年前にお父さんを亡くしている。その見舞いのことが「ご苦労様でした」のエッセーが載っている。そのお父さんは「死ぬのがこんな大変なことだとは思わなかったよ」と著者に言ったらしい。この父にしてこの娘かの思いをもった。
 「人間は堕落する」では、多くの人間が堕落する。不思議だ。なぜ堕落できるのかと問う。自分の本分である研究や仕事をしていた人がテレビなどに出演するようになり、タレントまがいの立ち居振る舞いをしていることを指摘したのである。そして、堕落するのは主に男だという。堕落の原因を自分の道を見出していないからだという。あるいは、自分の道はこれでいいのかと、自問することをやめたからだという。学者に限らず、私たちもつい調子に乗ると、この堕落という悪魔が近づくかも知れない。
 「好かれていたい」では、こんなエッセーを寄せている。・・・人は、自分のことを好きだと言う人のことを好きになる。嫌いだと言う人のことを嫌いになる。この当たり前な人性の理は、改めて考えてみるに面白い。じっさいに人の世が、そんなふうに動いているということに、今さらながら感心するのである。・・・
 この本の最終エッセーが「墓碑銘」である。死の直前に書かれたものである。自分の死の迫ることなにか予感めいたものを感じたのだろうか。合掌。(2007/06/09)


タイトル『「かわいい」論』
著者四方田犬彦 発行所ちくま書房 発行日2006年1月10日 定価680+税
 読みたい本が見当たらないとき、図書館で新書のコーナーに行く。そのねらいは読みやすいことと、思いがけなく読みたい本に出会うからである。その偶然性が面白い。
 目的をもって、読みたい本を探して手に入ったときの喜びは格別である。しかし、時には目的もなしに本との出会いを楽しむのもそれはそれで結構、刺激的なのである。
 この本はまさしくその類である。手にとって借りようとするときの判断基準は大概にタイトルである。つまり、面白いタイトルだなと思うと、中身を見ずに借りるのだ。
 今回手にしたのは「かわいい」という文字に惹かれた。日頃、学生の口から「かわいい」はいつも聞かされているからで、いったいぜんたい、この「かわいい」はどこから来たのかという興味があったからかも知れない。
 著者はこの「かわいい」は世界に類を見ない日本人の感覚であると指摘している。また、おなじ「かわいい」という言葉も使いかたによっては、その意味が異なることもあるという。ただ、若い人から「かわいい」なんて言われたりすることがあるとすれば、心穏やかではない気がする。そこには、年長者に対する尊敬という意味合いよりも、軽くあしらわれた感じがするのである。よく、年を取ったら「かわいい」じいちゃんや「かわいい」おばあちゃんと言われたいという人もいるらしいが、まっぴらご免である。
 「かわいい」と「美しい」は似て非なるものとの思いを強くした一冊であった。(2007/06/06)


タイトル『下流志向』〜学ばない子どもたち 働かない若者たち〜
著者内田 樹(たつる) 発行者講談社 発行日2007年2月20日 価格1400円+税

 格差問題が巷で話題になっているいま、若い人とりわけ大学生の価値観などを考えるうえで参考になる本と言える。また、副題にあるように、「学びからの逃走」「労働からの逃走」は彼らの意思なのだという著者の指摘は言われて見れば納得する面もある。
著者は「学びからの逃走」のなかで「今の若い人は読み飛ばし能力が発達している」「わからないことがあっても気にならない」と言う。その理由として、「ストレスをためないために、鈍感になるという戦略を採用しているから」だと言う。また学びの場において「消費者マインドで学校教育に対峙している」と指摘している。役に立つことなら聞くが、そうでないなら聞くのは苦役だというのである。
 「労働からの逃走」の項目において、「日本では社会的弱者が進んで差別的な社会構造の強化に加担するという仕方で階層化が進んでいる。自らの意志で知識や技術を身につけることを拒否して、階層降下していくという子どもが出現したのは、もしかすると世界史上初めてのことかも知れない」と言う。
 そして、「学ぶことの意味を知らない人間は、労働することの意味もわからない」と結論付ける。

 日頃、学生と接していて強く感じることがある。まず、第一に「正解を求めすぎる」。正解がひとつでなければ気持ちが悪いのだ。第二に「直線的で回り道が嫌い」。効率重視で、立ち止まって考えるとか、いますぐ結論がでなくても、丹念に考えを深めていくことをしない。第三に、「浮くのをいやがる」。学生特有の言葉に、友だちのなかで浮いている感じがするとよくいう。浮いてなぜ悪いという感覚がない。せっかくの個性を殺しているわけである。もったいない。第四に「意思決定の先送り」だ。「就職活動をやらなければいけないことはわかっているが、なにをやっていいかわからない」「だから取り組めない「と言う。しかし、これは疑いたい。確かに「思っている」けど「考えてはいない」のである。この背景には恐らく、「いまの時代、仕事はある」それよりも「やりたい仕事をやりたい」として、なんとかなるとたかを食っているところがある。せっかく縁があって会社に就職しても、「自分のやりたい仕事はこんなものじゃない」といって、すぐ辞めてしまう。
 これらの結果、意味の無い「自分探し症候群」や「青い鳥症候群」になっているのである。しかし、著者ではないが、これをおかしいと感じていないとすれば、それはそれとして理解してあげなければいけないのだろうか。うなりたい心境だ。
 この本と是非一緒に読んで欲しいのが、速水敏彦著『他人を見下す若者たち』。著者は根拠なき自信をなんとなく持っている学生が増えており、そのことを「仮想的有能感」と名づけている。(2007/03/24)


タイトル『安心社会から信頼社会へ』
著者山岸 俊男 発行所中公新書 発行日1999年6月25日 定価本体760円+税
 
副題に「日本型社会の行方」とある。一般的に私たちの考える日本社会は信頼しあう社会と認識している人が多いのではなかろうか。著者はそうではないという。これまでの日本社会では、関係の安定性がその中で暮らす人々に「安心」を提供しているから、わざわざ相手が「信頼」に足るかどうかは考えなくてもよい社会だというのである。
 これを証明するようなアンケート結果が紹介されていた。アメリカ人が「たいていの人は信頼できる」が47%に対して、日本人のそれは26%である。他人を信頼できないと思っている人は、多くの場合、他人と協力していことが重要でないと考えている人たちだという。結局、今後の日本社会はこれまでのような集団主義的な、仲間うちでかたまって協力しあっていくやり方がうまく機能しなくなると主張している。この本が上梓されて8年が過ぎようとしている。昨今の企業などの不祥事などを見るに付け、あい変わらず仲間うちの論理基準がはびこっているのではと思いたくなる。あまりにも「言っていること」と「やっていること」が違うことに唖然としてしまう。いま日本は国内での信頼もさることながら、世界からの信頼を問われている。(2007/02/26)


タイトル『老いるということ』
著者黒井千次 発行所講談社現代新書 発行日2006年11月20日 定価本体720円+税

 著者は現在75歳。その著者が60代の半ばを過ぎた頃、電車内で自らの老いを意識させられた出来事を語っていた。電車に乗っていたときに、小学生の男の子から優先席を譲られ、びっくりし、ショックを受けたという。老いに対する認識も薄いときに、そのような対応をされたことに、多少ともがっかりし、老いというものに向き合わせられた思いだったのであろう。
 この本のなかで、著者は「老いる」ことをマイナスととらえたり、見て見ぬ振りをするのではなく、むしろ「老いる」ことで、いままで見えなかった景色が見えるはずと結ぶ。 そして、古典のなかで老いの課題に正面から向き合った随筆などを紹介している。
 例によって、私の印象に残った文章を一つ紹介してみたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー老いるとは生きること・・・生まれ育った生命が途中で戦火や事故や病などによって絶たれることなくなんとか無事に続いたからこそ、人は老いを迎えることができるのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 当たり前のような文であるが、私は深い響きを感じる。

紹介されていた古典で島崎藤村の『藤村随筆集』(岩波文庫1989年)を読みたくなった。
(2007/02/01)

タイトル『格差社会』〜何が問題なのか〜
著者橘木俊詔 発行所岩波新書 発行日2006年9月20日 定価700円+税
 いま、日本において格差をめぐる論争が起きている。小泉政権では、格差の定義によっては、格差はあるなしは言えないとか、資本主義経済で格差があるのは致し方ないなどの主張が大勢を占めていた。
 政府は、いざなぎ景気を超えたとの最近の景気判断を示したが、多くの中小企業や国民はその実感がない。むしろ、これからの不安の方が大きいことがさまざまなアンケートで判っている。このような時期にこの本が上梓されたことは意義深い。
 著者は、サラリーマンに関わる三つの格差が拡大していくことを示している。一つ目は「業績のいい企業と、業績の悪い企業の業績格差が広がる」。二つ目は「業績をあげた人と、業績をあげなかった人の賃金格差が広がる」。三つ目は「中央と地方の所得格差が広がる」。
 学生の就職環境も売り手市場と言われているが、リストラなどで人員削減、雇用制度の見直しをした企業は元に戻そうとは思っていないので、内定確保は相変わらず厳しい。具体的には、正社員ではなく契約社員などの採用が増えているし、フリーター経験者については積極的に採用するとは思えないのである。仕事はたくさんあるが低賃金という構図だ。この構図は若に限らない。正社員の仕事の質とパートタイム社員・契約社員の仕事の質が変わらないのに、賃金は圧倒的な格差が存在している。
 著者は格差そのものの存在を否定しているわけではない。格差をどこまで認めていくかという点について考え方を表している。そして、貧困者に対する支援と同時に貧困者が増えない政策をとるよう提言している。
 この本は評論的に読むこともできるが、個人がこれからどう生きていくかということについの情報を与えてくれているのである。格差があろうがなかろうが、個人は将来について、選挙で態度を表明しつつ、自分の生活は自分で見直しつつ、自分で守っていかなければならないことは変わらない。(2007/01/04)


タイトル『温室デイズ』
著者瀬尾 まいこ 発行角川書店 発行年20067月 定価 本体1300+ 

昨今、相変わらず子どもたちの生命が危機に瀕している。この本の冒頭にこんな著者の思いが語られている。おそらく、この言葉がこの本を通じて著者が訴えたかったことではないかと考えられる。
それは、
・・・中学校は崩壊と再生を何回も繰り返しているはずなのに、教師の動きは鈍い。大事にならないと、動き出さない。・・・
主人公が小学生から中学生へ進む段階でさまざまな出来事に遭遇する。いじめ、それに対する教師の態度、友だちとの微妙な距離感を描写している。まさに、目の前に教室での陰湿な、けだるい、無気力な風景が映画を見ているように映し出される。
 主人公がいじめに会うシーンで次のことが語られていた。・・・見過ごしてもエスカレートするし、刃向かったら倍にして返される・・・じゃ、どうすればというパニック寸前の心模様だ。
 そんな子どもたちのやすらぎの場が学校の相談室である。いわば「こども110番」だ。しかし、ここが繁盛することがいいことなのか。いま、子どもたちが引き起こす悲惨な事件、自殺が連日のように報道されている。
 暗い、重いテーマではあるが、著者のメッセージは「それでも、毎日生活があり、生きている」ことの実感を子どもたちに、教育に関わる人たちに伝えたいのではなかろうか。
 安部首相は政権の目玉として「教育再生」をかかげ、委員会を設置した。その目的は何なのか。おりしも、文科省でゆとり教育の推進をしていた大臣官房広報調整官の寺脇研さんが退任のニュースが報道された。その理由として「役割が終わった」とあった。この「教育再生委員会」の審議のゆくえを私たちは大人として注視していく義務があるよう(2006/10/20)


タイトル『失敗を生かす仕事術』

著者畑村洋太郎 発行所講談社 発行年2002年3月 定価680円+税

 本の中からふたつの事柄について著者が書いてあることを紹介したい。
◆定式をつくる人、つくられた定式をなぞる人
 ※定式は"ていしき"と読みます
定式とは、こうやればうまくいくというやり方のこと。いま求められている人材は、時代に合った新しい定式を生み出す能力を持った人です。そして、その能力は、まず行動して新しいことにチャレンジしていくことからしか身につきません。
◆「ブロッケン現象」
霧の中で背中から太陽の光を受けると、前方の空間に大きなモンスターが見えることがある。これを「ブロッケン現象」という。初めて体験したとき、たいていの人は不気味だと感じる。後方から、太陽が当てられることで、前方の霧の中に自分の影が映し出されているだけのもの。つまり、その人が恐怖しているのは、その人自身がつくり出している自分の影に過ぎないのです。

 このふたつの事柄から「現実直視」と「柔軟対応」という言葉が思い浮かんだ。たとえ見たくなくても目の前に起きている事実から目をそらすことなく見つめることの大切さ。それが「現実直視」。そして、その事実にどう向き合うか。自分が信念と思っていることが思い込みや頑迷なこだわりに過ぎないのではないか。本質を求めて「柔軟対応」が生き生きとしていられる。
 私たちの生活や仕事現場においては、常に失敗というものがつきまとう。失敗の定義や解釈は個人個人違うわけだが、一般的には成功の数よりも失敗の数のほうが圧倒的に多いのではないか。失敗を恐れてなにもチャレンジしないで生きるのはもったいない。失敗しないということは行動していない証拠。その人にはいつまでたっても、成功というものは訪れない。そういう生き方を望んでいるのならそれはそれでよし。問題は、失敗しないことに満足感が薄く、ストレスを溜め込んでいないかということだ。いつも成功するとは限らないから、失敗しないように事前に準備して成功のゴールを目指す。結果はともかくその一連の取組みを繰り返していくことで人間力が鍛えられるのである。
 こんなことをあらためて想いおこさせてくれる本である。(2006年9月24日)


タイトル『他人を見下す若者たち』
著者速水 敏彦名古屋大学大学院教授 発行所講談社現代新書 発行年2006年2月 定価本体720+税

 最近読んだ本の中では一番面白かった。タイトルを観て、「他人を見下すのは果たして若者だけかな」という疑問があったが、読んで納得。大人にもあるようだ。
 著者は「仮想的有能感」という言葉で示す。
著者によれば、
・ 人間は本来常に自分を高く評価していたい動物である。
・ 現在の社会では、若者だけでなく、大人も仮想的有能感を持つ人が少なくない。電車の中で肩がふれただけでチェッとつぶやく人たちは「こいつめ。オレ様を誰だと思っているんだ」というような目をしている。このような仮想的有能感は、多かれ少なかれ誰にも存在する。
・ 他者軽視→仮想的有能感→努力軽視→努力経験の乏しさ→失敗→他者軽視の悪循環
・ 仮想的有能感の高い人は、概して周りと望ましい人間関係が形成されておらず、他者に対しても共感的でない。
・ これから仮想型の有能感を持つ人が増大するのではないか
・ ストレスという言葉が広まってから、ほとんどの人は、自分が他者にストレスを与えたなどとは考えず、自分だけがストレスを被っていると考えるようになった。これらも恐らく、人々が心の深層に仮想的有能感を抱いているためであるように思われる。
などと指摘している。
そして、これらの予防のために子どもの教育的視点からしつけが大切ととく。教育関係者だけでなく家庭のお父さんお母さんにも勧めたい一冊。(2006/08/27)


タイトル『人間であること』
著者 時実 利彦 発行者岩波新書 発行年1970年 定価534円+税
 
 著者は脳生理学の専門家で1909年に生まれ1973年に64歳で亡くなっている。したがってこの本は亡くなる3年前に上梓されたものである。
1970年と言えば私が大学を卒業し、就職した年である。1970年は高度成長期で、大阪万博が開かれた年でもある。いまから36年前の本ではあるが、その内容はいささかも古びてなく、今日に生きる私たちへの警鐘は今も輝き、肉体としての命がなくても魂は生き続けて入る。
 「考えること・書くこと」の章のなかに、こんな記述がある。・・・・・スピード化、情報過剰の生活環境は、私たちから思考する時間を奪いとっている。以前は、行間に読みとっていたが、そんなことをすると、かえってわからなくなるといった読み物の氾濫。映画やテレビなどの視聴覚の映像は、思考を遮断し、私たちの目と耳をしゃにむに引きたててゆく。しばしページをふせて考えることのできる読書に、もっと時間をさきたいものである。・・ヒットラーは豪語している「支配者にとって幸福なことは、民衆が考えないことだ」と。目まぐるしい毎日の生活のなかに、静かに思い、静かに考えるいとまを持ちたいものである。・・・・・
また、「争うこと・殺すこと」の章のなかにも人間と動物を比較した記述がある。・・・・・
ライオンは、食欲をみたすためにシマウマを倒すが、ライオン同士の争いでは、仲間を決して殺さない。ところが、私たち人間は、ホモサピエンス(知恵ある人)という同じ種属でありながら、お互いに殺しあいをしている。・・なぜなのだろうか。幸か不幸か、個性をうみだし、私たちをして自主的に行動させる新皮質の前頭連合野があまりにもよく発達したためである。・・・・・
 この本は偶然図書館でタイトルにひかれて手に取ったものだが、原理は時間が経過しても変わらないこと、人は、いつかは死ぬがその人の魂は後世に引き継がれており、死なないものであるということに改めて気づかされた。
あとがきに著者は言っている。「この本が、いくぶんでも、自分が人間であることの証をたてるよすがになれば幸いです」(2006/08/19)


タイトル『考える日々V』
著者池田 晶子 発行所毎日新聞社 発行日2000年12月 定価1600円+税
 前回に続いて同じ著者の本。大学の図書館で借りてきた。この本は発売されてから六年になる。それなのに誰一人として貸し出し名簿に記載がなかった。つまり、誰も借りていなかったわけだ。このことは決して残念だと思っているわけではない。むしろ、やっとめぐり合うという一期一会みたいな気持ちで、仕入れ担当者に報いたみたいな気分である。
 著者の独特ないいまわしの表現もあり、読みやすいという本ではない。しかし、ストレートボールをドスッと投げ込まれるようで、一種小気味よさもある。時折、ドキッとする考え方に脳みそをかき回される快感もある。37ページに「そうまでして そうするべきか」という章がある。そこで、"情報伝達機器が発達するほど、伝達される情報の無内容が露呈してくるというのは皮肉なことだ"と述べている。便利だけを追い求める結果のつけとして、人が馬鹿になっていくのでという指摘にはうなってしまう。読むのに馴染みにくい本をあえて読んでみる効能もありそうである。(2006年7月31日)


タイトル『14歳からの哲学』

著者池田 晶子 発行所トランスビュー 発行日2004年2月 定価1200円+税

 この本がヒットしていることは知っていたが、発売から二年も経っているとは知らなかった。たまたま、図書館で同じ著者の『考える日々』を借りようとしたら、『14歳からの哲学』の著者だと判り、同時に借りて、こちらの方から読んだ次第。
 14歳前後の少年に向かって書いてあるのだが、中身はなかなかどうして、大人が読んでも読み応えがある。難解のところも随所にあった。文が日常の口語体形式なので、読みやすいかも知れない。
 「思う」ことと「考えること」は違う。理想と現実とを別のものと思っているから、理想が現実にならないのだ。と、指摘しており、納得。このようなことは、ややもすると区別をつけないでいるかも知れない。
(2006年6月20日)
本・音楽情報